1000年想い続ける愛の深さに心打たれた話。【白蛇:縁起 感想】

こんにちは。お久しぶりです。よろしくお願いします~!

 

今日は、「白蛇:縁起」を観た感想と「縁-YUÁN-」を少ししようかなと思っております。簡単に言うと白蛇の魅力について語り合おうの会でございます!(パチパチパチ~)(セルフ拍手)

読みにくいブログかと思いますが、温かい目で見てもらえると嬉しいです。

 

 

まずは佐久間くん

初W主演映画公開おめでとうございます~~~~!!!

ついについに「白蛇:縁起」公開されましたね!(大時差)

実は私3Dアニメーションに苦手意識があったんですけど、白蛇を観てまず動きのリアルさとしなやかさ、繊細さに驚きました。3Dアニメーションって動きが不自然というか人間離れした動きをするというか(どういう動き?)そういうイメージがあったので初めて白蛇を観た時は人が人として動いている感じと(?)映像美、色彩美に心打たれて涙しました (涙脆し)中国アニメーション舐めてました。というか白蛇の続編が観たすぎる。

 

(ぽんさん、前置き長いです汗)

いやでも本当に話したいこと多すぎて長くなっちゃうんですよね。何回観ても必ず同じシーンで泣くし、逆に前回観た時は泣かなかったシーンがその時は泣けたりとか。毎回違う感情が湧いてきて新しい気持ちで観れるから何回観ても飽きないんだろうな〜と思いました。

あ、また話が逸れちゃいました(こら)すみません、ちゃんと書きます

↓それではよーいスタート〜!!

 

演技力、表現力の高さ

映画を観終えた時の感想としてまず

佐久間くん本当に主演張るの初めてなの??これに尽きました。序盤の方は宣の中に「佐久間大介」を感じたんですけど、中盤くらいになるにつれて佐久間くんが消えていって完全に『宣』になっていて。でもいい意味で素の佐久間くんらしさというか人間味が演技の中にあって、だからこそ宣をキャラクターとしてでは無く一人の人間として見れたんですよね。セリフとか息遣いとかに「演じてます!」って感じがあまりなかったから更に映画の世界観に違和感なく惹き込まれていくのかなと思いました。(上から目線の極みですみません)

兎にも角にも、

佐久間くマジで凄すぎるとなりました(語彙力2)

毎日近所迷惑にならないようにクローゼットで3〜4時間練習した(←可愛すぎる)その努力の結晶を映画館で体全体で感じることが出来て本当に本当に良かったです。ファンだからとかそういうの関係なくとても素晴らしい作品でした。

 

傘で風にのるシーン

私は最初にこのシーンで泣きました(いら情)

記憶をなくして目覚めた時の白は周りを凄い警戒していてずっと眉間にシワが寄ってたんですよね。けど仙術で飛べるようになった傘で風に乗るのに宣が白を引き寄せた時に警戒して攻撃しようとするけど宣の顔を見たあと白の表情が凄い優しくなって攻撃しようとするのを辞めるんですよね。警戒心の強い白が出会ってすぐの宣にあそこまで心を許しているのを見ると如何に宣の人柄が良いか伝わってきますよね。

白は宣の純粋さ、純白さに心惹かれたのかな〜。

 

宣が白に向けて歌うシーン

このシーンすごい好きです。というかきっとみんな好きですよね。宣が愛おしいと想っている相手に伝わるように丁寧に言葉一つ一つを大切にして歌っているのが伝わってきてジーンとしました。

アイドルの佐久間くんをいつも見ているからかアイドルの時とは違って皆に伝わるような歌い方ではなく一人の相手に伝わるような歌い方なので佐久間くんが歌ってるけどどこか佐久間くんでは無いような不思議な感覚になりました。

 

夕焼けを2人で見るシーン

白が妖怪だとバレてしまってから初めて顔を合わせるシーン。目が覚めてはらまきが怯えてるのを見て宣も同じように本当に妖怪だった自分を敬遠するんじゃないか不安に思っているのかなと思いました。でも宣は妖怪であっても態度を変えないどころか「妖怪だからなんだ」って少しムッとした感じで強めに言うんですよね。(ここの宣の言い方めちゃくちゃ好き)

それで「あなたお人好しね」ですよ。本当は凄く嬉しいのに素直に言わないあたりにもうキュンが止まりませんでしたよ、本当に。マスクの下でゲヘゲヘしてましたもん(気持ち悪っ)。その後の宣が妖怪である受け入れてくれたことの嬉しさを噛み締めてるような表情も素敵だなと思いました。

 

宝青坊の主

はい。私の最推しです(いら情②)

可愛さと妖艶さを兼ね備えたあの独特な雰囲気が堪らなく好きなんです。キツネの時と女の子の時との声の使い分けもさすがとしか言いようがないし、あれが一発録りっていう所にやっぱりプロは違うなと思いました(当たり前)。ちなみに私が1番好きなシーンは宝青坊の宝具を造る所まで入っていった時に擦り寄ってきたキモオジ(ごめん)達を蹴散らして「働け!!」って言ってるシーンです。もしまた観に行く予定がある人がいたらぜひここのシーンに注目してみてください(^ ^)(謎の宣伝)

 

地下室で愛し合うシーン

ただただ美しい、そう感じました。語彙力が無くてこんなありきたりな言葉でしか表せないのが悔しいですが、本当に美しいなと。

白が宣に抱きついた時「天地玄宗〜」の石碑に白の姿が写って目をぎゅっと瞑る描写があって

"宣は人間で自分(白)は妖怪であるけど今だけは人間として宣と一緒になりたい"ということを表しているのかなと思いました。

石碑が全てを思い出すきっかけになっていて、その石碑に写る自分を見て目を瞑る=自分が妖怪であるという事実からこの時だけは目を逸らしたかったのかなと。私はそういう風に感じました。いくら強い愛の絆があったとしても人間と妖怪という揺るぎない事実を突きつけられている気がして凄い切なさを感じるシーンだなと思いました。

 

宣に別れを告げるシーン

リアルに毎回泣いてます。こんなに苦しいシーンある?って感じで泣いてます。これまで頑なに蛇の姿になるのを嫌がってた白が自ら蛇の姿になって「あなたは人間、私は妖怪」ってまるで自分に言い聞かすように、だんだん苦しそうな声になっていくんですよね。このまま一緒にいると宣が危険な目に遭ってしまうからそうならない為に身を引こうとしている姿を見ると白は心から宣のことを愛しているんだなと思いました。

初めて観た時に宣の「必ず方法を見つけて〜」のセリフの声が想像よりも低くてびっくりした記憶があります。あの感情を必死に抑えて言葉を紡いでる宣の声もいいですよね。

佐久間くん演技上手すぎる(n回目)

 

綿毛のシーン

宣は人間だろうが妖怪だろうが関係なく"白"の事を真っ直ぐに愛しているということを表しているシーンだなと思いました。

自分のために妖怪にまでなって「ずっと一緒にいよう」と言ってくれた事によって、白の宣に対する「他の人間と同じで大蛇になった自分は愛してもらえない」と傷ついた心が溶かされた瞬間のような気がしました。

この時の私は、この幸せな時間よ一生続けとめちゃくちゃ願ってました(笑)(そうはならないんですけどね泣)

 

宣が凍ってしまうシーン

もうこのシーンで泣かない人いないと思います。宣が凍ってしまって魂が消えそうになった時に、宣と白の楽しい思い出たちが流れてくるじゃないですか。"楽しいことだけ覚えていればいい"の伏線をまさかここで回収されるとは...と絶句しました。そして歌が流れてくるタイミングが本当にズルい。時間はたっぷりあるからと一緒に歌わなかった歌は結局2人で歌われることはなかったなんて誰も想像できませんよ。泣きながら宣が飛んでいかないように一生懸命掴んで歌っているところにまた泣いて。本当に泣いて泣いてのラストシーンでした。

 

記憶を取り戻した後

1000年の修業が無駄になったとしても構わないってなかなか言えることじゃないですよね。1000年の修業よりも宣と一緒に居れない方が辛いってことなんだろうなと(妖怪になる時に宣も言ってましたよね)。そんな2人の強い愛に感動しました。仮に宣を探し出してまた2人が一緒になれたとしても人間の宣は歳を取り最終的にはまた別れることになる。この出会いと別れを何度も繰り返していくことが"縁"ということなのかなと思いました。

 

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ここからは映画を観てから少しだけ縁-YUÁN-の考察が変わったところがあったので書いていきたいと思います。

過去に縁-YUÁN-の歌詞考察ブログを書いてるので読みにくいと思いますが(すみません)そちらも合わせて見てみてください↓

縁 -YUÁN‐ -

 

例え別れを繰り返しても

2番は宣サイドの歌詞かなと思いました。

↑前回のブログではこう思ったんですけど、2番は基本的には白目線の歌詞だなと思いました。(基本的にはという部分に関してはまた後で書きますので一旦置いておきます)

例え別れを繰り返しても〜は劇中で白が同じようなセリフを言っていたのでつまりそういうことだと思います。(急に雑)

 

命の灯火を焚べて

ここからの歌詞は白と宣それぞれの目線の歌詞かなと思いました。

 

・白

命の灯火を焚べては修業のことを表しているのかなと。

焚べるには「物を火に入れて燃やす。 すでに熾(お)きている火の火力を増すために、燃料を追加する」という意味があり、火は仙人を表していて燃料は命(生命力?)のことなのかなと思いました。

・宣

命の灯火は宣の精気のことかなと思いました。

そして火力(火)は2人の愛のことかなと。白は人間と妖怪という線引きをして宣を突き放したけどお互いがお互いのことを深く愛し合っているので、熾きているけど抑制された火の火力を増すために精気を燃料として妖怪になり何も気にせず2人でずっと一緒に居られるようにして愛を育んでいくというのを表しているのかなと思いました。(自己満解釈)

 

何時かでも何処かでもない

前回のブログでは、

いつまた逢えるか、お互いどこにいるのか分からないけど、何年経っても慕情(意味的には②)はずっと変わらず二人の中にある。ってことかなと思いました。

と解釈していて、これは白目線なんですよね。

この歌詞も宣目線で解釈できると思ってて、

宣は白に向けて「妖怪だから何だ」や「体が大きいから何だ」って言うんですよね。この歌詞の「何時か」「何処か」っていうのはそういう「妖怪だからダメ」とか「大きい体だからダメ」という固定概念のことを表しているのかなと。宣の固定概念に縛られずに好きな物は好きという性格を表した歌詞のように感じました。

 

同じ河を渡ろう

最後に白が宣と再会した橋の下は河になってるじゃないですか。その河が2人で船に乗って旅していた河に似ているなと思いまして、白は仙人で宣は人間なので必然的にまた別れる事になるけど再会した時に、また同じ河を渡って前世と同じように歌を歌ったり、教えてあげたりと楽しいことをしようということを表しているのかなと思いました。

 

 

 

という感じで「白蛇:縁起」の感想と「縁-YUÁN-」の考察を少しばかりしました。

 

いやー、まじで長い。長すぎる。

こんなブログ最後まで読んでくれた人いるんですかね(笑)

もしいましたら本当にありがとうございます(大土下座)

 

白蛇について話したい事が次から次へと溢れてきて今回も全くまとまりのないブログになってしまいました。正直自分でも読み返してません、というかながすぎて読む気になれません(えっ)

 

本当にこんな素晴らしい作品の主演を佐久間くんが務めているというのが凄いなと思いますし誇らしいです。もっとたくさんの人に届いて欲しい作品だなと思います。上映館が少ないのが本当に惜しい...

 

まだまだ書きたいことは沢山ありますが(まだあるんだ)さすがに長すぎるのでそろそろ終わりにしたいと思います。

皆様こんなブログを最後まで読んで下さりありがとうございました!

また何かについて書けたらなと思ってます!

 

ではでは〜!(´u`)